時代を越えた輝き─
ヒッピー・ムーブメント。
TEXT●TAKASHI KIKUCHI
「ラブ&ピース」。このヒッピー・ムーブメントをシンボライズする言葉は、時代を越えてカウンター・カルチャーのアイデンティティとして、生き続けている。言葉から発せられるビジョンは、21世紀の現在にこそ必要なファクターであり、人間らしく生きるための道しるべだろう。
ヒッピーとは、辞書によれば「60年代のアメリカで、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者たち」ということになる。どうもネガティブだなあ。しかし、オレなりの解釈を言えば「自由を愛し、自分を信じ自分の生き方を肯定する。そして地球を愛する人間たち」。だからこそ、インディアンやエスニックテイストを取り入れたファッションとしてのスタイルに限らず、たとえ長髪でなくとも、新しい生き方を模索しているという意味において、今は誰もがヒッピー的な資質を持っているのではないだろうか。ヒッピーの精神こそ実にポジティブなんだよ。脱社会ではなく、自分発見の旅のようなものなんだからさ。
ヒッピー・ムーブメントは60年代のサンフランシスコで発生した。アメリカにおける60年代はジョン・F・ケネディ大統領の登場ではじまった。43歳という若さでの大統領就任は、「若い時代」の到来を意味し、時代の流れや時代の気分が確実に変わった。親の世代から自立し、独自の価値を主張する。そして「若い世代」は等身大のカウンター・カルチャーを造り出していった。その大きなひとつがヒッピー・ムーブメントだった。ヒッピーの種はアメリカ西海岸から世界中に飛び、世界かしこで芽を出し、大きな木へと成長していった。たとえば、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。ベルボトムのジーンズや長髪、Vマークのピースサインもそう。ヒッピーはあの時代の世界を席巻した。
ヒッピーは平和と愛の象徴として花で身を飾ったことから、フラワー・チルドレンとも呼ばれた。サンフランシスコのヘイト・アシュベリーを震源地とした「若者たちの若者による若者のためのルネッサンス」ヒッピーには、コアに新しい音楽があった。
アコースティックからエレクトリックへの変化。既成のシステムやルールに縛られることなく、さまざまな音楽的な実験をライブパフォーマンスにおいてチャレンジしていった。長時間にわたるインプロビゼーション。アメリカのルーツミュージックからインドまで多様な音楽の要素を巧みに取り入れたフリーフォームなサウンド。そして、きらびやかなライトショー。ロックの可能性を拡大する冒険がフィルモアやアバロン・ボールルームといったライブハウスで行われていた。グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインなどがその代表的なバンドで、オーディエンスを未知なる世界へと導いてくれた。
そんな音楽に引き寄せられるかのように、自由を求め、ミュージシャンやアーティストに限らず多くの若者がこの地を目指した。デビューしたばかりのジャニス・ジョプリンも、ジミ・ヘンドリックスもそんな若者のひとりだった。60年代なかばのサンフランシスコはまさに、自由の中心地として存在していた。
67年。この年はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ヒッピー・ムーブメントがピークに達した年として刻まれている。1月にはヒッピーの祝祭と言われる「ヒューマン・ビー・イン」がゴールデン・ゲート・パークで開催された。グレイトフル・デッドなどベイエリアのバンドが集結。他にも「30歳以上を信じるな」というキーワードを掲げた反体制運動の指導者、ジェリー・ルービンやドラッグ・カルチャーの教祖的存在だったティモシー・リアリーら60年代のカルトヒーローもステージからアジテーションを投げかけた。6月にはサンフランシスコ近郊で「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル」が行われ、デッドやエアプレインの他、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンをスターダムへと押し上げることになる。
しかし、サマー・オブ・ラブを境にヘイト・アシュベリーでのヒッピー・ムーブメントは終息へと向かっていく。一気に盛り上がった火は消えるのも急だ。パラダイスだった街は人であふれ、マスコミがそれをおもしろおかしく書き立て、フラワー・チルドレンの一部は街を離れコミューンへと移住していく。
そして69年夏、ニューヨーク郊外のベゼルという小さな村で、あの「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル」が開催された。愛と平和の祭典としてのこのビッグ・フェスティバル、ここに集まった人数は40万人とも50万人とも言われている。予想を遥かに越えたオーディエンスが集まったため、会場では食糧、医療設備、トイレなどが不足し、二日目には雨にたたられるなど悪条件が重なった。参加した人々は少ない食糧を分かち合いながら、三日間のフェスティバルは無事終了したという。しかし、ウッドストックは輝くような60年代の終焉をも意味していたのかもしれない。70年には、ジミとジャニスが不幸な死を迎えた。
オレはユースクエイクと言われた60年代を同時代として体験していない。だから一種の憧れを持って、その音楽や気分に接していた。一方で70年代のパンクや多極化した80年代を通り過ごして、ヒッピーやカウンター・カルチャー自体がすでに過去のものではないか、という思いも頭のどこかに残っていた。
その心の迷いを払拭してくれたのが、グレイトフル・デッドのライブショーだった。ジェリー・ガルシアのイマジネーションあふれるギター。そして重層的なサウンド。会場にいるすべてをのみこみ、唯一無二である同じ時間を有する幸福を味わわせてくれる。この瞬間に生きている自分が、ここにいる。そんな感覚をダイナミックに体感できた至福な時間だった。 残念ながら、グレイトフル・デッドはジェリー・ガルシアの死によって、95年に30年にも及ぶ長い旅を終えたけれども、彼らが刻んだカウンター・カルチャーは、途絶えることはなかった。ジャムバンド・シーンから飛び出してくる幾多のバンドはアフター・デッド、つまりカウンター・カルチャーの現在進行形を感じさせてくれる。野外で行われるテクノ・パーティーでも同じような感覚が味わえる。今を生きるダイナミズムがみんなにとって必要なんだよ、きっと。
ティモシー・リアリーが唱えた「チューン・イン、ターン・オン、ドロップ・アウト(時代の先端をいく、陶酔する、そして自分の本質へと向かう)」という言葉は、今の時代にこそふさわしい。 60年代なかばから2000年にかけてのユース・カルチャーを、エイジ・オブ・アクエリアスと呼ぶ人もいるけれど、水の惑星(地球)の子供として何が大切なのかを、ヒッピー・ムーブメントは示唆していたんだろう。
そう、オレ達の合い言葉はいつまでも「ラブ&ピース!」。