サイケデリックの先駆─グレイトフル・デッドの永い旅。
TEXT●TAKASHI KIKUCHI
PHOTO●NAOAKI MATSUMOTO

プロローグ

じっと耳をすましてごらん。頭の中を無にしてごらん。心臓の音が聞こえてくるだろう。血液が流れる感覚が甦ってくるだろう。大地の蠢きが感じられるだろう。グレイトフル・デッドの音楽は、まさに人間が体内に宿している音やリズム、そして地球の鼓動を具現 化したものなんだ。様々な要素を内包している。耳で聞く音楽ではなく、身体で感じる音。だからいつもやさしく響いてくる。グレイトフル・デッドは、ジェリー・ガルシアはいつも多くの人の身体の中に存在している。

1. 1960年代の前半、ジェリー・ガルシアとボブ・ィアがサンフランシスコの南に位置する街、パロアルトで偶然出会ったことからグレイトフル・デッドの歴史は始まる。
 この二人にフィル・レッシュ、ビル・クルーツマン、ロン”ピッグペン”マッカーナンの3人が加わりワーロックスを結成。ある時、「グレイトフル・デッド(偉大なる死)」というフレーズが辞書からジェリーの眼に飛び込んできた。この言葉はエジプトでは祈祷で使われている。メンバーは輪廻転生の象徴的な意味をこの言葉からかぎとり、新しいバンド名とした。
 グレイトフル・デッドとしてその活動をスタートしたのは1965年12月4日。ケン・キージー(『カッコーの巣の上で』の作者)が主催するサン・ホゼ・アシッド・テストでプレイした。ピッグペンは70年代に入り不慮の死を迎えるが、それ以外の4人に67年に加入したミッキー・ハート(彼は一時期バンドを離れるが)を加えた5人は不動のメンバーとして1995年7月9日のシカゴ、ソルジャーフィールドまでライブ活動を続ける。その数は2317回に及んだ。
 60年代のサンフランシスコ、ベイエリアは、サイケデリック文化の中心地として、そしてカウンター・カルチャーの発信地として存在していた。グレイトフル・デッドのメンバーが当時住んでいたヘイト・アシュベリーはヒッピーの聖地となっていた。その精神的、あるいは音楽的な支柱だったのがグレイトフル・デッドであり、ジェリー・ガルシアだったのだ。
 アシッド・テストはLSDを服用することによって、新しい世界へと人を導く。その空間で生まれたものは内に潜む意識を交感させる。グレイトフル・デッドは、ジェリー・ガルシアは未知のゾーンへの道標だったのだ。だからこそ、デッドヘッズはジェリー・ガルシアを「キャプテン・トリップ」と呼ぶ。

2.  グレイトフル・デッドは13枚のスタジオ録音と数多くのライブを公式のアルバムとして残している(DICK'S PICKSなど解散後も次々にライブがリリースされている)。そして無数のブートレッグ・アルバム。ライブアルバムのリリース数が物語っているように、スタジオ録音は、曲の完成形ではない。あくまで通過点として存在し、ライブパフォーマンスを繰り返すことによって、楽曲は創造され熟成されていった。 「どの音も心を込めてプレイしている結晶だよ。イージーな発想なんて皆無さ。まずはプレイすることが先決だ。頭で考えるのではなく、感性で捉えるのさ。私は過去を懐かしむタイプじゃない。振り返るのではなく、常に前を見て進んできたんだ」(ジェリー・ガルシア)。
 コンサートをバンドとしての活動のメインにしたバンド、グレイトフル・デッド。デッド・ショーと言われるコンサートは90年代に入っても1日2セットで、計3時間を越える。60年代から70年代にかけては7時間にも渡った「テスト」があったという。30年にも渡るその長い道程は、常に人と音との交感を目指していた。2317回を数えたそのショーのひとつひとつが、新しい世界への冒険であり、長い旅だたのだろう。同じ構成のステージは2度と存在しない。その日の感覚を最も大切にし、自然発生するインプロビゼーションを散りばめた。その時間だけが、いつも唯一無二なのだ。グレイトフル・デッドとオーディエンスは共同幻想を作りだしていた。ジェリー・ガルシアはあるインタビューでこう応えている。「もしも君が、ドラッグを嗜む余裕を持ち 、なおかつプレイだけを楽しめる人間なら、それまで気づかなかった自分の一面に出会えたり、楽器や音楽と違う接し方ができたり、いろいろな面白い経験ができるはずだ。未だに私は、目指している次元に到達できないでいる。そこに行き着くためにはプレイするしかないんだ。課題としては凄くダイナミックだね」。
 ジェリー・ガルシアさえ常に新次元を求めているのだから、オーディエンスにとっては、一日一日が新しい幻想との出会いなのだ。至福の時間を得ることができる。だからデッドヘッズは幾度となくデッドショーに足を運ぶ。
この30年という歳月は、ロックビジネスの誕生と成熟、そして衰退という大きな流れの中に位置している。しかしグレイトフル・デッドは音楽をビジネスとはしなかった。存在が希有なのは、ゆるぎない確信に満ちた自分たちの道を抱えていたからだろう。73年のピッグペンの死、79年のキース・ゴドショウとドナ・ゴドショウの脱退、90年のブレント・ミッドランドの死。度重なるアクシデントを経ても、その道は一度も途切れることはなかった。しかし「キャプテン・トリップ」の死だけは越えることのできない大きな障害となってしまった。

3. 60年代のカウンター・カルチャーは、反体制的な思想を根幹に持っている。地球を蝕んでいく国家や、精神を病んだ人間へのアンチ。その意味ではカウンター・カルチャーはヒューマン・カルチャーと言葉を置き換えてもいいだろう。人間そのものの精神の居場所を求めたムーブメントと言っても過言ではないだろう。エコロジーやオリエント神秘主義に傾倒していったのがその証明だ。  僕は幸運にも、1995年2月のオークランド・コロシアムと6月のショーラインでの、デッドショーを体験できることができた。ベイエリアのこの二つの会場は言わば90年代における彼らのホームグラウンドだ。残念ながら、彼らはデッドとしてこの地に戻ってくることはなかったが……。
 90年代にはカウンター・カルチャーが残っていない、とそれまでは思っていたのだが現存していることが感じられた。メインストリームが見えない混沌とした今の時代でも彼らは意思を貫いた。グレイトフル・デッドがアメリカのもうひとつの国家と言われ続けてきたことも分かった。何故グレイトフル・デッドが人を魅了するのだろうか。それはすべての音楽の要素を内包するデッドだけのサウンドであることは当然なのだが、それ以上のものが確かに存在している。トリップすることも自由だが、人間への回帰、個人の資質が試されているような気がしてならない。自然の音は人間に勇気と歓喜と慰安を与えてくれる。グレイトフル・デッドはまさに自然の音なのだ。地球、いや宇宙と自分を同化させてくれる。一体感を得られる恍惚がダイナミックだ。
 90年代に入っても、アメリカでの観客動員は毎年トップランクを守っていた。いや守っていたというよりも、それだけのファンに支えられていたのだ。レコードをまったくリリースしてない時期でさえ、デッドショーは続けられ、圧倒的なまでの動員数を誇っていた。ショーには3世代に渡る顔が見える。親から子へ、子から孫へと受け継がれていく。こんな幅広い層に指示されたショーは、他にはない。デッドヘッズ=ヒッピーという図式が一般的には強く浸透しているかもしれないが、デッドショーはその図式にあてはまらない。何者をも拒むことのない許容範囲を持っている。グレイトフル・デッドはヒューマン・カルチャーであるがゆえに、脈々と息づいているのだ。
 コンサート会場にテープを持ち込むことを許したのもグレイトフル・デッドの大きな特徴だ。自由にコンサートを録音できる。そのテープがデッドヘッズの追体験を誘う。テープはファンの間を行き交う。今でもインターネットによってテープのトレードが行われているし、MP3によってフリーで配信されている。「誰かが古いテープを聞かせてくれる。そして改めて感動を覚える。いつの時代のグレイトフル・デッドの演奏からも、アプローチのはっきりとした意図が感じられるからなんだ。この一体感は初期からずっと変わっていない。メンバー全員の思いが必ず一致しているんだ」(ジェリー・ガルシア)。
 古いテープやブートレッグを聞くと、その会場に自分がいるような不思議な感覚が襲ってくる。眼の前にジェリー・ガルシアが現れる。わずか数回しか体験できなかったけれども、僕にとってデッドショーは内なる大きな財産だ。

4. デッドショーは体験した者だけが分かる特権なのは間違いない。しかしそう断言してしまうことも淋しい。ジェリー・ガルシアが夭 逝してしまった今では、ジェリーの意思を次世代に伝えていくことが、グレイトフル・デッドを体験した者の使命だとも思っている。30年というバンドの歴史はロックミュージックという範疇では、もちろん長い。けれど人間が作りだした限りなく自然に近い音という意味では僅かな時間でしかない。メンバーがバンド名に願いを込めた輪廻転生は必ず実現される。スティール・ユア・フェイス(髑髏)がプリントされたタイダイのTシャツが巷で人気を集めているのもそのひとつの現象だと信じたい。きっと言葉にならない何かが、ジェリー・ガルシアの精神が、時間と距離を越えて伝えられているのだろう。

エピローグ──デッドは続く。

 1995年12月8日、グレイトフル・デッドは正式に解散を表明した。ジェリー・ガルシアが急逝してから4か月後のことだった。ボブ・ウィアはラットドッグという新たなバンドを結成して、精力的にライブを続けている。96年夏に行われたラットドッグのツアーのサブコピーは「ON THE ROAD AGAIN」。フィルも自分のバンドを率いて、未知の音楽を開拓している。00年には久しぶりにクルーツマンもステージに戻ってきた。グレイトフル・デッドの軌跡はテープとして残されている。ジェリーの声が、ギターが、グレイトフル・デッドが懐かしくなる日が来ることは決してないだろう。我々の長い旅はまだ続いている。 「どの道を選んでも、私はいつも友人たちと一緒さ。恐れることは何もない。行き着く先まで走っていこう。他に何ができるというのだ」(ジェリー・ガルシア)。



 

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